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滑川市のマーク 滑川市

滑川市

滑川市の就職支援情報を詰め込んだポータルサイトです。
滑川市は、古くから盛んな農業やホタルイカ漁に代表される漁業に加え、工業製品など幅広い品目で製造業も発展し、
数多くの企業の本社や製造拠点が位置しています。
まずは、令和5年度市制施行70周年時に作成しました、プロモーション動画(観光編)をどうぞご覧ください。

滑川ってこんなところ(地形)

本市は、「天然の生簀(いけす)」と称される日本国内随一の魚介の宝庫で、「世界で最も美しい湾クラブ」に加盟している富山湾に面しています。
南西は郷川とこれに合流する上市川下流部を境界に、県都・富山市などと、東は立山連峰の剱岳から流れてくる全国トップクラスの急流河川早月川を境界に魚津市と接しています。
市域は、県南東部に広がる 3,000 メートル級の「北アルプス」立山連峰を背景にして、早月川と上市川に挟まれた扇状地の上に形成されています。
県内でも立山連峰が特に雄大に見え、中山間地からは県内随一の夜景や富山湾に沈む夕日がひときわ美しく見えるなど、市民に安らぎを与えています。

滑川ってこんなところ(歴史)

平安時代から室町時代にかけて、現在の滑川市域を中心とする地域は京都・祇園社の荘園「堀江荘」で、穀倉地帯として開発されました。
戦国時代を経て、豊臣秀吉の天下統一後、現在の滑川市域を含む新川郡などが、戦国大名・前田利家の領地となりました。特に沿岸の旧町部は北陸街道沿いにあり、江戸時代には加賀藩の宿場町(本陣)として栄えました。また、富山藩の薬種商から薬の製法を習ったことが滑川の売薬の始まりです。
明治時代から大正時代にかけては米の集積地・沖への積み出し港として橋場に郡役所が置かれ、中新川郡の政治・経済の中心地として発展しました。
旧北陸街道の宿場町には、江戸期からの国登録文化財も多数存在しており、近年古い町並みの景観を活かして出店する者が増え、まちなかに賑わいが生まれつつあります。

滑川ってこんなところ(産業)

現在は、古くから盛んな農業やホタルイカ漁に代表される漁業に加え、医薬品や建材など幅広い品目で製造業も発展。数多くの企業が本社や製造拠点を置いており、製造品出荷額においては県内第4位、人口比では県内第1位です。良好な住環境のもと職住が近接しており、暮らしやすいまちとして評価されています。

滑川ってこんなところ(文化)

本市には滑川沖の海中にあるとされる竜宮伝説にちなんだ「ふるさと竜宮まつり」や厄除けや無病息災などを祈願する「ネブタ流し」など、古くから受け継がれてきた民族行事や文化が残っています。
また、滑川の特徴として挙げられる売薬文化について、江戸期に富山藩の薬種商から薬の製法を習ったことを始まりとし、滑川の薬売りたちの営業範囲が全国に広まっていったと伝えられています。かつては市内人口の1割程度が売薬を営んでおり、近年では減ってきていますが、売薬の精神や文化は現在においても滑川に息づいています。